東あずま
東あずま (2021.6.27.SUN)
荒川沿いの地図を見ていたときに不思議な名称を見つけました。
東あずま?
つまり東東??
なにこれ???
とりあえず検索してみました。
【東あずま駅】
東あずま駅(ひがしあずまえき)は、東京都墨田区立花四丁目にある、東武鉄道亀戸線の駅である。駅名は付近一帯がかつて吾嬬町(あづまちょう)だったことに由来し、周辺の東吾嬬小学校、第一吾嬬小学校などの学校や吾嬬神社にその地名が残っている。
なるほど。
近くに吾嬬神社があるそうです。
こちらもマップで検索。
ありました。
吾嬬神社の東だから東あずまなのかな??
地図で見る限り、西あずま北あずま南あずまは見当たらず。
この辺りの住所は墨田区立花であずまの「あ」の字もありません。
仕方ないので、ヒントになりそうな吾嬬神社で検索。
【吾嬬神社】
創建年代は不明である。日本武尊の妃弟橘媛が自ら生贄となって嵐を鎮めた際、岸に流れ着いた遺品を祀ったのが起源とされている。
なるほどなるほど。
つまり日本武尊命(ヤマトタケルノミコト)の妻の弟橘姫(オトタチバナヒメ)の遺品が由来の神社でした。
だからこの辺の住所も立花(タチバナ)となったそうです。
ということは、つまり……。
・日本武尊命が東征のために船出。
・嵐を鎮めるために弟橘姫が人身御供となる。
・その遺品が流れ着いてここに祀られ吾嬬神社が建立される。
・その東側にできた駅なので「東あずま」となった。
……ということなんでしょうね(タブン)
ちなみに、「あずま」の由来は日本武尊命が亡き妻を偲んで、
吾嬬者耶(あづまはや)
(現代語訳「わが妻よ!」)
と叫んだことに由来します。
それ以降、東国を「あずまの国」と呼ぶようになったそうで。
叫んだ場所はいま嬬恋村と呼ばれています。
【嬬恋村】
村名の「嬬恋」は、日本武尊が東征の帰路、鳥居峠に立ち、海の神の怒りを静めるために海に身を投じた愛妻の弟橘媛を「吾嬬者耶」(あづまはや)と追慕した古事にちなむ。
不思議ですが弟橘姫に関わる地名では「妻」が「嬬」になっています。調べても由来がわかりませんでしたが何か理由があるのかもしれません。
一度行ってみたいと思っていたのですが、すっかり忘れていました。
走っているときにふと思い出したので行ってみました。
荒川からは遠くも近くもない程度の距離ですね。
何の変哲もない普通の駅です。
ちなみにここは東あずま駅東側(くどい)です。
このすぐ先の踏切を渡ると正面に巨大なスカイツリーが見えました。
道なりに進んでから北十間川(きたじっけんがわ)に向い、ちょいと奥まった先に神社かありました。
裏からアクセスしてしまったため本当にわかりづらかった。
北十間川(きたじっけんがわ)側が正面からの入り口となっています。
石垣の上に建立されたコンパクトな神社でした。
日本武尊命と弟橘姫が一緒に祀られているそうです。
写真を撮っている間にも参拝されている方がいました。
有名所は違うなと思いました。
なんか取り留めもない記事となってしまいました。
不思議な地名を見つけてから一年越しくらいのアクションでした。
気になったところにノーコストでふらっと行けるのもロードバイクの良いところですね。